UIとかUXとか

userにアプローチする、という部分でシステムが気にするのは、USER IFという部分なのだけど、ブラウザ系の業務アプリだと、もう定型化したアプローチというのが既に確立してしまっている。革新的なIF、と叫んだジョブズが世に出したマルチタッチのIFは多少なりとも進歩の余地はあるかもしれないが、操作に最適化されてしまう筈の専用機のIFでは、そこもまたあまり進化進歩の余地はないのかもしれない、と最近は思う。
前例踏襲が基本路線で、業務を混乱させないための路線一本化。その辺が評価され続けるのであれば、今後もまた進化や進歩はないんだろうね、と思いつつ何とかして何かを創り出したいとは思う。makeじゃなくて、createで。

物語の結論

エヴァンゲリオンを語る「一般people」が増えてきたような気がする。鬱屈とした作品の解釈に何か一定の価値と結論を与えたがるのは人間の性(サガ)という奴なのだろうが、それ以前の根底の価値観というか、「使徒」というワーディングの使い方、エヴァンゲリオンがなぜ巨大ロボットアニメのコンテキストを受け継いでいながら、あの形状なのか、というのを考えると、僕はどうにも解釈を与えることも出来ず、結論を決めることも出来ず、Qを見にいく決断が出来ないでいる。

何故だろうか。

逆襲のシャアで完結したアムロとシャアの物語は形を変えてユニコーンに再定義されているはずなのに。同じようにエヴァンゲリオンを受け入れることが出来ないのは何故だろう。

情報の取捨選択について

時折聞かれるのだが、物凄い情報量をどうやって「捌いて」いるのか、と聞かれる。正直、何もしていない。目にはいるものを片っ端から読んでいく。フォトリーディングは、勝間和代女史の著作を読んだ時に試そうとしたが、結局モノにした実感はない。
キュレーションの文化が進んで、世の中にはキュレーションの仕組みであふれているのだから、自分に取って目触りの良い情報を取っていけば良いだけの話。

今の会社にきて、「ググレカス」という単語が通じない人がいることにカルチャーショックを受けたのは数年前だが、結局発話をする人間が、話したい相手が「何を知っているか」を前提条件として踏まえるのはよくよく考えれば当たり前なので、興味のありそうなニュースサイトをreaderに突っ込んで定期的に読むことをお勧めしている次第。

教育の無償化

教育の無償化について。
教育というのは機会が平等に与えられるわけではないし、やる気のない人間にはそれ相応のものしか与えられないのが普通だ。広範で高度な知識というのはそこに落ちているわけではなくて、自分で拾いにいく必要がある。理系の学問というのは、得てして実践的だが、逆に文系の学問というのは得てして理論的ではないかと思う。教養と呼ばれるものの多くはそこに基本的な概念を成している。概念的にね。

iOSが多くの教育コースを配信し始めてもう、随分経過した。オンラインのコースは何か変革をもたらしただろうか。答は否だと思う。まだ世の中に効果は出ていない。

ノーベル賞狂想曲

京大の山中先生がノーベル賞を受賞されました。おめでとうございます。

山中教授にノーベル賞 反日の中韓で称賛の声「うらやましい!」

で、まあ、報道を観ていると、やっぱりマスコミのイメージ先行の映像作成が目について仕方がない。結婚式のエピソードとか、恋愛のエピソードとかは必要ないから、iPS細胞とはなんぞや、とか、これからのミッションは何なのか、そういう報道は出来ないものなんだろうか。

表と裏

物事には表と裏というのがあると思っていて、どんな人間にも好かれる面と嫌われる面があって、清濁併せ飲んで、それでも好きです、って言えるかどうかが重要だと思う。汚い面、嫌いな面を攻撃して叩くのは簡単だけど、逆の面はどうなの?という部分。両方見て、トータルでどうなの?っていうところを問いたいのだけど、攻撃に集中している人間は逆の面を問う奴を認めたくないようだ。

困ったものです。

カルチャー

「日本人なのに。日本の事を喋れない、何も知らない、って恥ずかしいと思わない?」

彼女のあの時の言葉が僕の行動理由の一つではあると思う。日本人である事。変に左翼的な歴史観に犯されることなく、自分の国の文化について、言語について、明瞭に言葉でコミュニケーションが出来ること。

that is Japanese.

それが日本人だ、と一言で片付けるのは簡単なんだけども、極力そんな事は言わないこと。だって日本人なんだから。

windows8


ワールドビジネスサテライトを見ていて、windows8のリリースが近いというニュース。パルマー自身が日本へ乗り込んできたとか。タブレット、携帯分野では確かにマイクロソフトは遅れてしまっているけど、パッと見た感じ、タブレット的なインターフェースをPCへ持ち込んでしまうのはどうなんだろう。アイコンベース、INFOBAR的なレイアウト配置はちょっと違和感を覚えそうな感じ。

コスト面

電子書籍の普及がイマイチ進まないのはそこにコスト的なものがあるからじゃないの、ってずーっと思っていたのですけど、結局書籍や雑誌の流通にまつわる「仕事」が消えていくことへの「恐怖」というのが正解なんじゃないのか、という気がしてきました。かつて、社会的にOA化が進んだ時に「庶務担当」の仕事を奪ったのがシステムであったような現象が再度起きている、あるいは起ころうとしているんじゃないのか、と。幸か不幸か社会のインフラとしての無線回線が増大し続けるトラフィックを捌ききれないんじゃないのか、という恐怖があるわけなんですが、それとは別種の恐怖。

原発を止めろというけれど

原発を止めろというけれど。相変わらず原発への反対運動は盛んではありますが、あの人達は原発が全て止まった後の社会を本当に考えているのだろうか。火力発電の割合があがり、必然的に燃料費が高騰して電力代金が上昇する。全ての産業の根幹にある電力の経費があがればあらゆる経費に跳ね返ってくる。その辺、どう考えているのだろう。原発を止めろ、原発はいらないと言うのは簡単なのだけど、その後、ビジョンが見えないのが大いに不満。