本当は貧困な日本社会

学生の大部分が大企業、人気企業に行きたがる、という話があったけれども、本当はそんな大企業でも実に貧困な労働実体であったと、いう話。

就職人気企業の6割が過労死基準超え 225社の36協定で判明 トップは大日本印刷の時間外1920時間

制度上は過労死基準は有名無実化していて、結局は経営とか、利益偏重に陥っている。裁判過多すぎるアメリカのような社会はそれはそれで嫌なんだけど、労働基準監督署が実質機能していないこのクニは本当に何か息苦しくないか。

一年

2011年というのは激動の一年だった。下らない政策争いとあら捜しから始まった日本は、3月に大震災の直撃を受けて大きく揺らいだ。空気を読み、その場の雰囲気に流される美徳は美談を生んだことの方が多いのかもしれない。だけど一方で確実に暗黒面、ダークサイドも示したと思う。民主党の政権は迷走を極め、東京電力はその引き起こした事故の前に無力さを晒し続けた。日本型の統治の限界だろう。

だけど、それを結局破壊するだけのパワーは何も現れていない。壊せ、壊せ、と叫ぶ勢力はいるのだが、壊した後に何を作るのかは誰も示していない。

否、そもそも何を作りたいのかすら多分誰もわかっていない。

いつの世でも結局美しいのは現場で困難を切り開くリーダーだけだ。この巡視艇の艦長や乗員達のように。

掻き乱すこと

結果として、頂いた代金に見合うだけのサービスを提供し続けることがSE、Computer engineerとしての矜持というか、役割であると信じている。そういう意味では組織における縦社会の命令系統は邪魔になる可能性はあるし、そういう上司にあたってしまえば自分の運のなさを呪うだけだ。だが、それが上司でないのならば、ただ単に縦社会における障害物であり、排除するべき対象であるならば容赦はしたくない。

排除するだけだ。

掻き乱すことは悪である。ましてや、責任が取れない、取らないのに掻き乱すことだけを目的として騒ぐのはとてつもなく悪である。

認知欲求

年末に8年近くやってきたオンラインゲームをすっぱりやめた。そもそも1年くらい忙しくて、週末プレイヤーに成り下がっていたし、1回徒党、パーティーを組むと3時間は拘束されるので、他の生産的な活動が全く出来ていなかったのが大きい。それでもやり続けてきたのは、そこに「仲間」がいたからで、コミュニティの中でリーダーシップに近いものをずーっと取ってきたからだった。

評定委員の代替わりがあって、新規の評定委員からも引き続き協力はして欲しい、と言われてはいたのだが、いい機会なのですっぱりやめる努力をしてみたら、すっぱり止められてしまった。不思議なものだ。

特に挨拶はしなかった。長い間一緒にやってきた一部の仲間には簡単に挨拶をしたけれど、でも、多分やめたのか単に忙しいだけなのか、わかっていない状況ではないかと思っている。

2月に入ってオフ会の誘いがあった。やっぱり「認知欲求」っていうのは自分はものすごく強いんだな、って改めて思った。必要とされること、仲間だと思ってくれること。最初の出会いから8年、そこは「仮想」の世界ではあったけど、リアルでも繋がるようになって4年。時の移ろいは早い。

世界を変える

プロフェッショナル仕事の流儀、google及川氏の回。しみじみと観ることが出来ました。エンジニアの地位が一般の事業会社では「低い」と感じる昨今。しがらみや、社内政治や、プライドや、メンツや、色々な言い方はあれど、技術的ではない、目指すべきものから見れば明らかに違う、間違っているのに方向性を正せないジレンマを感じる毎日。

googleのエンジニアは何と幸せな事か。

最近、携帯ゲーム、スマフォゲームの会社からのオファーがリクナビNEXTに多いのですが、そういう会社に今ひとつ行く気になれない僕は、息の長いサービスを、だけど革新的な世の中を変えるようなものを創造したいのだと改めて想いました。

そして、エンジニアになった頃の純粋な想いを改めて思い出しました。何かをcreateするんだ、っていう想いを。

追憶

追憶

僕の記憶が正しければ、あの夜は雨だった。東葛西の小さな路地で彼女と待ち合わせをした。その時僕は大学1年生で、一浪して大学に入っていた。

彼女は13歳年上で、僕が中学の頃から通っていた英語専門の塾の先生だった。僕は5年間彼女に英語を教わって、結局大学に現役で合格できなくて、高校を卒業すると同時に彼女と別れることになった。そこは現役生専門の塾で、高校を卒業してしまった僕の居場所はなかったのだ。
巨大な予備校の中で1年間勉強して、大きな失恋をした後で僕はとある国立大学に入った。そして合格した事を彼女に葉書を書いて知らせた。返事は一切期待していなかったが、彼女からは葉書が来て、小さくおめでとう、という言葉とメールアドレスが書いてあった。僕はそこにメールを出した。当然の成り行きだ。僕は彼女に恋をしていたのだから。他愛のないやり取りを何回かした後で、僕は彼女に会いたい、とメッセージを書いた。そして彼女と雨の夜に会った。

メキシカンのレストランで、僕らは1年半以上会っていなかった友人がするような会話をして、彼女について知らないことを、知らなかったことを色々と聞かされた。英語を使った仕事をしたいこと。塾の講師は生活の糧でしかないこと。そして、結婚をするつもりはないこと。大阪の人であること。

そして、降りしきる雨の中、店を出ようとした時に彼女はテーブルの下で僕に1万円を握らせた。

「あなたが払うのよ。男性なんだから。」

今思えば、女性のエスコートの仕方、酒場での振る舞い方、全てを僕は彼女にさり気なく教えてもらった。彼女は銀座で僕と会いたがったけど、学生の僕には銀座は敷居が高かった。そして、店を出た後で何故か千葉のバーへ遠出をすることになった。店ではアメリカンフットボールの古い試合を流していて、スクリーンを背にした僕と、スクリーンを前にして座った彼女は何だか会話がちぐはぐになった。彼女は試合が目に入って仕方ない、と申し訳なさそうに謝った。

冬の曇った日、なぜか人恋しくなると僕は彼女に会いたくなる。知性的な会話の中で深い異文化に対する教養について会話のキャッチボールを楽しみたくなる。

彼女は今年も僕に年賀状をくれた。

有意義な日々を送りたいですね。

とある。そうだね。でも、僕はあなたに会いたい。メールを送ってみようか。