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追憶

追憶

僕の記憶が正しければ、あの夜は雨だった。東葛西の小さな路地で彼女と待ち合わせをした。その時僕は大学1年生で、一浪して大学に入っていた。

彼女は13歳年上で、僕が中学の頃から通っていた英語専門の塾の先生だった。僕は5年間彼女に英語を教わって、結局大学に現役で合格できなくて、高校を卒業すると同時に彼女と別れることになった。そこは現役生専門の塾で、高校を卒業してしまった僕の居場所はなかったのだ。
巨大な予備校の中で1年間勉強して、大きな失恋をした後で僕はとある国立大学に入った。そして合格した事を彼女に葉書を書いて知らせた。返事は一切期待していなかったが、彼女からは葉書が来て、小さくおめでとう、という言葉とメールアドレスが書いてあった。僕はそこにメールを出した。当然の成り行きだ。僕は彼女に恋をしていたのだから。他愛のないやり取りを何回かした後で、僕は彼女に会いたい、とメッセージを書いた。そして彼女と雨の夜に会った。

メキシカンのレストランで、僕らは1年半以上会っていなかった友人がするような会話をして、彼女について知らないことを、知らなかったことを色々と聞かされた。英語を使った仕事をしたいこと。塾の講師は生活の糧でしかないこと。そして、結婚をするつもりはないこと。大阪の人であること。

そして、降りしきる雨の中、店を出ようとした時に彼女はテーブルの下で僕に1万円を握らせた。

「あなたが払うのよ。男性なんだから。」

今思えば、女性のエスコートの仕方、酒場での振る舞い方、全てを僕は彼女にさり気なく教えてもらった。彼女は銀座で僕と会いたがったけど、学生の僕には銀座は敷居が高かった。そして、店を出た後で何故か千葉のバーへ遠出をすることになった。店ではアメリカンフットボールの古い試合を流していて、スクリーンを背にした僕と、スクリーンを前にして座った彼女は何だか会話がちぐはぐになった。彼女は試合が目に入って仕方ない、と申し訳なさそうに謝った。

冬の曇った日、なぜか人恋しくなると僕は彼女に会いたくなる。知性的な会話の中で深い異文化に対する教養について会話のキャッチボールを楽しみたくなる。

彼女は今年も僕に年賀状をくれた。

有意義な日々を送りたいですね。

とある。そうだね。でも、僕はあなたに会いたい。メールを送ってみようか。