The news room season2


1年間待った、ソーキンドラマの新シーズン。ようやく始まった。日本語版のDVDが発売される気配が微塵もないので、今回は完全録画予定でwowowも2回線契約で録画機器も10年ぶりに買った。とりあえずは、日々の楽しみがこれで増えるかな…

理想を語れない


ニュースルームのseason2の先行放送がwowowであった。期待通りの内容で満足。ソーキンの作品が好きで、役者の言い回しよりも、ソーキンの脚本を見たくて、ずーっと見ている。
season1の講演会のシーンはThe WestWingのどのシーンよりもお気に入り。「何故アメリカは世界一の国ではないのか。」マッケンジー・マクヘイルは言う。

But it can be.

そうなれるのに。そうなれることを誰も言わない世の中になった。オリンピックに無限の物語製造装置を求めるのと同じく、ドラマにも僕らは無限の物語製造装置を求める。普段の生活がそうではないから。いい加減、理想を語れない世界はやめればいいと思う。物語を語ったら叩かれる世の中。理想を語ったら笑われる世の中。

東横線の遅延

昨今、あまり気になっていなかったが、昨日、今日と東横線は大幅な遅延。やっぱり3路線接続運転っていうのは難しさのほうが上で、さらに運転間隔が詰まっているからラッシュ時はその難易度が上がっているのだと思う。最終的な打開策は複々線化にしかないのだと思うのだけど、今の沿線状況を見る限りでは、そういうのも難しいのでしょうね。

新年によせて

iPhoneが世に出て、すっかりスケジュール管理をデジタルでやることが当たり前になってしまったのだけど、今年は手帳で、紙ベースでやり直したいと思い始めた。ジブン手帳を手にして、24時間の縦軸があることに感動したこともあるけれど。ぱっと書けるような気安さも良いかな、と思い始めた。後は、BLOGの活性化だろうか。新年の始まりにあたり、そんなことを思った。

2013

2013年を振り返った時、iOSのフラットデザイン採用によって、web系の「見方」がずいぶん変わったのではないか、という感じがしている。
googleのNexusは普段触れていないし、Xperiaを捨ててiPhone5に乗り換えて以来、Androidもまともに触れていないので、そっちの方面はよくわからないけれど、見える範囲ではずいぶんと「フラット化」が進んで、web系のデザインの「見方」が変化した。全てがスマホとタブレット、スレートPCに最適化されて、もはやデスクトップ上でのレガシーなデザインには「古臭さ」さえ覚える。webアプリケーションの開発者にはこれからはデザインセンスも求められる時代ではないだろうか。それとも、デザイナーとの分業が進む時代か。

強いリーダー

The WestWingのseason7で、原発メルトダウンのエピソードがある。バートレットの後継を決める大統領選の真っ最中。共和党のヴィニック候補は、当の原発をカリフォルニアへ誘致した一人。だが、彼はあくまでも大統領候補でしかなく、事態の収拾はバートレットの強烈なリーダーシップによって行われる。
理想の政治ドラマと評されたThe WestWingだが、バートレットの強烈なリーダーシップはこの回に如実にあらわれていると思う。

菅直人が謹慎明けで発言を始めたのだけど、彼が事故直後に見せた迷走のリーダーシップとは、天と地ほどの違いがある。たかがドラマかもしれない。だけど、世の中にはこれほど強烈なリーダーシップを取れるリーダーがいるだろうか、と思わせるいちシーン。

八重の桜

大河ドラマ「八重の桜」が終了。思い返せば、最初の数回は職場で休日出勤しながら見た。前作の「平清盛」が「よく知られない」物語であったがゆえに失敗したように、八重の桜も後半戦は「よく知られない」物語であったように思う。
新島八重という人は、おそらく周囲の人間の逸話、物語を含めれば膨大なエピソードがありすぎて、原作者の山本むつみはその多くを整然と語ったと思うのだけど、テレビでは演出の都合か、時間の都合か、後半は多くが駆け足で中途半端なままエピソードを語るようになってしまった。そこが残念。テレビドラマとしては、周りを扱いすぎるのではなくて、きちんと整理して、絞って描くほうが作品としては正しいのだと思う。

でも、総括すれば良い物語だった。綾瀬はるかはもちろんだけど、西島秀俊、市川実日子、が良かったかな。玉山鉄二は数年前の天地人では素人みたいな演技だと思ったけど、今回は良かったと思う。

名言

書籍の冒頭、論文の冒頭。映画やドラマの冒頭。引用して、掲げられるようなワンフレーズに果てしない魅力を感じる。
そこから始まる深淵な物語の行方を示すように。何かを方向づける。何かを感じさせる。そんな名言が、フレーズが好きだ。

フルスタックエンジニア募集

フルスタックエンジニア募集、という広告をよく目にするようになったのだけど。
つまり、上から下までほぼほぼ出来るエンジニア、ってことで。そんな希少種は相応の報酬を支払わないとこないと思うのだけど、往々にして報酬は大したことなかったりする。

実際、中堅規模のSIerにいれば、大体技術領域で住み分けができていて、LocalでTomcatやApacheを走らせて開発はするけど、実際問題サービス対応レベルでTomcatやApacheを走らせるのはまた違った問題が出てくるのだ、ということが理解されていないように思う。

Webサーバが3台って

Webサーバを何台建てるか、なんていうのはシステム依存というか、サービス依存だし、多いところはもっと多い。開幕直後にdosアタックで沈んだ某サービスなんかは20台建てているそうだ。結局、フルスタックエンジニアになって、上から下までなんでも把握できるようにならなきゃ、サーバが3台である意味なんて知らなくても生きていける。

技術の幅が問われる時代、生き残るのはフルスタックエンジニア―nanapi CTO和田修一氏に聞く

みんな、寛容さのスタンダードが相当高くなってないか?人は自分のテリトリーに関係のないものは無関心になるものだと思う。テリトリー外の気遣いをしなかったことで説教されても、それは知ったことじゃないさ。

教養ということ

少し前になりますが、マイケル・サンデルが流行したことがありました。私も読みましたし、NHKの映像も見ましたし、あれはあれで何か考えさせられるものがあったのですが。
@koedaさんがfacebookで熱く語っていたこの本。努力する人間になってはいけないなんですが。最初は「サンデル的な何か」を期待して読んでいましたが、どうも違う。いわゆるエッセイ集なんですよね。語るべきところになにか「思う」ところはあるのだけど、どうも何か「ずれ」みたいなものを感じてしまって。実世界を感じていない教養人と、社会人のずれじゃないか、という気がしていますが、どうなんだろう。云っていることはごもっともなれど、実社会ではそうではないだろう、的な。

真の教養とはなんだろう、って時々思います。宗教や、語学や、社会学、その他の有象無象。何か根本的な思想を理解しつつも、結局根本の上にある、存在する何かを語ることができなくてはどうしようもないのではないか、という気が最近特にします。結局、教養って「ツール」でしかないんですよね。